8月31日の北國新聞に5,000文字ほどの掌編小説「雲をあげる」を寄稿しました。
五年から八年先の石川県羽咋市に住む「私」が妻と共に白山を訪れた時に、年々小さくなっていく千蛇ヶ池の雪渓を守ろうとする須山六花という女性の活動を目にする話です。雲を描いた凧をあげ、その影で雪を溶かす日差しを防ごうとするその活動はあまりにもささやかで、下手をすると山で活動することの環境負荷の方が高いのではないかというほどなのですが、その活動を見た「私」の中では何かがゆっくりと変わっていくという、クライメイトフィクション(気候変動小説)です。
温暖化対策をを目にした時、私はその収支のことを考えてしまいます。ある場所で二酸化炭素を年関数キログラムほど吸収しても、その装置の製造や、回収に使う自動車の出す二酸化炭素が多ければ、活動をすることで二酸化炭素の排出量が増えてまうのです。最大限好意的に考えて、二酸化炭素の排出量に対する意識が高まったとしても、その活動を行えば行うほど二酸化炭素が排出されていくのでは意味がありません。補助金のおかげで安く取り付けられる太陽電池パネルや蓄電池も、同じ理由で手が出しにくい。そんな気持ちを投影した「私」の視点で環境について書くことは良い体験になりました。
クライメイトフィクションでは、破局した未来を描くことが多いのですが、今回私は手の届く未来の、まだ前を向いているであろう時期のことを選んで書きました。石川県の新聞なので読む機会もないかと思いますが、気に入っている作品です。いつか短編集で紹介したい作品です。